> サイト一覧 > 詰将棋の鑑賞 > 鑑賞室 / 番外編1「一本道詰将棋」
 

全ての歴史は詰パラ昭和55年2月号の読者サロンに掲載された次の図面が始まりでした。

[第1図]55年2月

一本道詰将棋
図は王手応手が常に単一。変化紛れ完全皆無の最長手数?作。29手。破れるか?コロンブスの卵と言えば聞こえはいいが…。(前垣良行)」

とにかく王手をかけてみてください。方法はたった一つしかないはずです。
そしてその王手をはずす方法もたった一つしかないのです。
変化も紛れもないこの詰将棋、一見なんの面白みもなさそうですが、それが逆に詰キストのチャレンジ魂に火を着けてしまいました。
そう、最長手数探しという果てしない旅です。

[第2図]55年7月

「2月号サロンの前垣氏の一本道詰将棋、第2図のようにすれば31手になる。(座美意取図)」

2月号を読んだ読者から続けざまに記録を塗り替える作品が届き始めました。
前垣氏作の右端の配置を工夫し、2手伸ばしています(3手目27桂もあり不完全)

[第3図]55年8月

「33手のつもりです。(棋学類想者)」

こちらは駒取りを増やすことで右辺での手数を伸ばすことに成功。その分、収束での手数が稼げなくなっています。
しかし、そんな機運に水をさすような指摘が入ります。
それが次のIOCC氏の文章でした。

[第4図]55年11月

「2、7、8月号サロンの一本道詰将棋はいずれも二手目に玉が王手された駒を取ってしまうと二通りの応手となり、一本道とは言えなくなる。そうなると5手詰以上の一本道詰将棋を作るのは不可能になる? 3手詰(最長手数作?)を示します。(IOCC)」

そしてこの指摘に追従した作品が投稿されるようになります。
しかしよく考えてみれば、「玉で相手の利きのある駒を取る」のは反則……ですよね。
結局、この手の作品はすぐに消えていくことになります。

その後、数作の発表を経て、第5図が発表となりました。

[第5図]56年6月

「四月号サロンの大海氏作は最終手で飛成と飛不成の両様があるので88飛を龍にしなければなりません。図は大海氏らのをもとにして作ったもので35手詰のつもり。(福優慶麗)」

双玉にし、収束部で4香消去をすることによって手数を伸ばしています。
しかし同じ号に次の図面が発表されていました。

[第6図]56年6月

「37玉以下43手です。(玉野忠捨)」

いままで誰も破れなかった40手台の壁を乗り越え、現在最長不倒の43手です。
玉が1筋を離れるのに12手を要し、またそれまで左端1列でしか行われなかった歩の突き上げを左2列でうまくスイッチさせるなど、随所に凝らされた仕掛けはまさに一本道詰将棋の一つの到達点といっても過言ではないでしょう。


一本道詰将棋はこの後、昭和57年2月までサロンに登場しますが、結局玉野忠捨氏作を上回る作品の出現はありませんでした。
答えを見つけるのは単純ですが、創作するとなると異常に難しい条件である「一本道」。
条件が厳しいからこそ挑戦意欲を駆りたてられるものなのかもしれません。

 

このページのトップへ