第6番 将棋世界 S57・7
24桂、同銀、11飛、23玉、35桂、同銀、15桂、同歩、33金、24玉、14飛成、同馬、34馬、13玉、25桂、同馬、23馬迄17手詰。
初形は気にするタイプだが、持駒の多寡はそれ程気にしない。しかし、短編で持駒がたくさんあるのはいい感じを与えないとは思う。尤もそんな事より内容が問題なのだが。
持駒多いが局面が狭いので易しい作。何といっても難しいのは、変化紛れもそうだが、手の広い局面がいつまでも続く筋のない作品なのでは?
第7番 将棋ジャーナル S58・7
24飛、12玉、14飛、13角合、同飛成、同玉、14香、23玉、41角、32飛、同角引成、同銀、24飛、同玉、34角成迄15手詰。
類作の氾濫する時代に、新手筋なんてできるのだろうか。
飛先飛香も今ではただの手筋になってしまった。
第8番 将棋マガジン S59・8
23飛、16玉、34馬、同馬、35銀、15玉、16飛、同馬、24飛成迄9手詰。
ファミコンの森田将棋というのが短手数の詰将棋を解くらしいと知った。さっそく買って自作をやらしてみたが、これが矢鱈と時間がかかり、果ては詰まない。指将棋の方もお話にならなくて1日で飽きた。その時は「金返せ」といいたくなったが、ある日社会現象を起こしたという「ドラクエ3」というゲームを生まれて初めてやってみた。これは軽い謎解きの要素もあり、時間をくって寝不足になるのが詰棋と大層似ていた。後で知ったがそのゲームには、とらの巻があって私みたいに1ヶ月余りも時間をかけた暇人はいなかった様だった。だけど初めからそんな本を見てやったのでは、答の分っている詰棋を解く様なもので面白くなかったかもしれない。しかしゲームの途中で鳥がピポピポピーと飛んだ時は思わず感動してしまった。(変なおじさん?)
ひと桁物の短編は閃きと感覚の世界。どちらも乏しい自分にはとても苦手な分野だ。最近の傾向は詰上りの奇抜さを狙った作が多いと思う。自分も時たま真似してみるが、慣れない事はするもんじゃない。
第9番 将棋ジャーナル S59・8
16飛、15歩合、同飛、24玉、25飛、13玉、22銀、14玉、23飛成、同玉、33馬、14玉、13銀成、同玉、14歩、同玉、15歩、13玉、25桂迄19手詰。
ひと目見て解いてみようかなと思わせる初形は詰棋を創る上で大切な要素のひとつだと思う。そんな訳でみた目のすっきりした簡素図式は好きな部類だが、自作にはこれ位しかない。盤面5枚だが、自分の感じとしてはこれでも1枚多い気がする。
中合が入って何とか格好がついた。
第10番 詰パラ S59・8
21飛成、同玉、31歩成、同玉、33香、32歩合、同香成、同玉、24桂、同歩、33歩、同玉、43金、22玉、34桂、11玉、23桂、21玉、31桂成、同玉、42金、21玉、31金、11玉、22桂成、同玉、42飛成、11玉、21金、同玉、22歩、11玉、31龍迄33手詰。
短編もそうだがこの位の手数の中編なら特に何かテーマを入れるべきとは思う。しかし、自分の場合もし何かテーマの入った作だったとしたら、それはテーマをつけた訳ではなく、たまたまついていたというだけの話で、これは変化、紛れにもいえる。
好形から軽く捌いて奇麗に詰め上がるだけで喜んでいる自分としては、この作などは大のお気に入りなのだが次元が低いと笑われるかもしれない。しかしやっぱりこれは自分らしい作だと思う。
近頃、難しい中編はあっても易しい捌きの中編を見ないが、そんな作の愛好者の自分としてはもっと見たいものだと思っている。
詰棋を解き始めた頃は、今から見れば何の変哲もない手順にも感心していたし、創り始めた頃は、ただ詰むだけの作でもうまくいったと喜んでいた。
しかし、詰棋を少し齧った為にちょっと位の好作では感心もしなくなったし、自作は凡作ではないと思ってみても凡作にしか見えない。これは、不幸だ。目が肥えて、少しばかり腕が上達した様な気がするのは、喜ぶべき事なのか、悲しむべき事なのか?
最近、自分も一人前になったつもりで生意気にもマニアぶって偉そうな短評などを書いてしまう時があるが、後から読むと反省させられる。自分だってたいした作もできないのに。
こんな私も、いつかは作品集を出すのが夢だ。尤もこれは売れそうにもないので、自分で出版するつもりだが、これはまだずっと先の話になりそうだ。それまでは何とか頑張りたいと思っているが……。
歳を取って、杖を衝いても、片手に詰パラ、片手でパチリ、やっているかな、俺。
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