大正十四年生れ、六十四才の旧人類が、三流作家の屑籠から拾って来たような作品をぶら下げての登場です。
とてもこのような晴れの舞台に出せる代物ではありませんので、小学校以下の方だけ読んで下さい。
「好作だけが詰将棋ではない。」と、理屈をこねつけての厚かましい登場です。
わたしの詰将棋歴は、前期と後期に分ける事が出来ます。
前期は、風ぐるま、王将、そして詰パラを知ったのが昭和三十一年頃だと思います。
「三百人一局集」にも書きましたが、詰パラ五十号記念(だと思いますがハッキリしません)に応募した作が、「盗作?」などと騒がれました。
偶然のショックの大きさからその後は一切の本や、未投稿の作品も全部焼却して昭和三十七年前後に前期を終りました。
従って当時の資料は一切残っていませんが、幸いにも五十四年頃「七手詰傑作集」に、拙作が三題採用されている事を知り、買求めたのが唯一の前期の財産となりました。
それから約十五年後の後期は、入院中に近将の広告で詰パラの健在を知り、あまりの懐かしさから昔の血が騒ぎ、再び皆様方の仲間入りをさせていただきました。
それからは何事もなく過ぎましたが、昭和五十九年、私が一年ほど前に発表した作と「同一作」が、某一流作家の名で発表されました。
あのような大作家が「盗用」する訳もないし、当然「偶然の一致」である事は万人の認めるところですが、もしこれが逆で、私の作品が後で発表されていたらまた「盗作」などとぬれ衣を着せられたのでは、と思うと偶然の一致の恐ろしさにも、運、不運のある事を強く知らされました。
では駄作の店開きですが、1番から4番までは「私のベスト10」と言うよりも、「私の思い出の局」と言った方が適当かも知れません。
第1番 詰将棋パラダイス S32・3
17金、同玉、27金、同玉、38馬、17玉、29桂迄7手詰。
三百人一局集に掲載の初入選の思い出深い作品です。
三十数年前が夢のように浮かんで来ます。七手詰傑作集がなかったら、永久に会えなかったかも知れません。
金の捨て方に味があると思います。
第2番 詰将棋パラダイス S35 47号
15銀打、23玉、14銀、同玉、32角成、同馬、13金迄7手詰。
七手詰傑作集に載っているところを見ると、三十年前はこんなものまでもが傑作?
今なら掃いて捨てる程あるのに。
第3番 詰将棋パラダイス 第7巻第3号
44角、同銀、34桂、同飛、33銀、同玉、32金迄7手詰。
初手に44角と捨てるのが奇抜。あとは手筋の組合わせで、典型的な手筋もの。以上三局が私の前期作です。
第4番 詰将棋パラダイス S52・6
31角成、33玉、44銀、同歩、34金、同金、22飛成、43玉、42龍迄9手詰。
私には初入選が二回あります。1番が前期の初入選。本題が後期の初入選です。
約十五年間の空白が、こんなものしか創れなくしたようです。
第5番 詰将棋パラダイス S55・4
22銀生、32玉、41飛成、同金、33金迄5手詰。
亀の歩みにも似て、入選10回目にして初めて幼稚園で首位になりました。
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