第6番 将棋讃歌 S58・1
35銀、25玉、26龍、14玉、23龍、同玉、22飛、13玉、14歩、同玉、32馬、同馬、24飛成迄13手詰。
もう一局、今はなき将棋讃歌誌掲載作より、登場させます。
わたくしは、指将棋も好きで(ヘボ二段)、よく街の将棋大会に顔を出します。ある大会で、対局の合間、出場者の中学生二人が、何か詰将棋らしきものを研究しているのです。頃合を見はからって「これ詰めてみてみィー」と、盤面に右図を並べて示してみました。
二人の学生は、盤面をしばらくの間考え込んでいましたが、「詰まん」とサジを投げてしまいました。
小生が手順を示すと、五手目龍切りが盲点だったらしい。また三手目、43馬の紛れに迷い込んだもようでもありました。現在、あの二人は、わたくしなど及ばぬ指手に成長してしまいました。
詰マニアにとっては、23龍切りなどさしたるほどの発見困難な手ではないでしょうが、締めくくりの馬捨ての手順の盛り上がりを画いてみたかっただけなのです。
第7番 将棋 S58・62号
32龍、同玉、31桂成、同玉、32銀、同玉、23角、42玉、33銀、同桂、31角、51玉、41角成、同玉、52龍、同玉、53金、51玉、42角成迄19手詰。
作図家は、いったいどういったときに、アイデアを得るのだろうか。夜中ふとんの中にもぐったとき、トイレの中、通勤電車の中、他人の作を解いているとき、ぼんやりしているとき、etc...。
この一局は、不謹慎ながら、公務員として本業に励んでいる最中に後半の手順が浮かんだのです。もっとくわしく言えば、参議院議員選挙の投票受付事務の最中であったわけです。
わたくしは、素早く駒の配置をメモし、投票者がとぎれた折々に、紙片をとり出し少考を重ね、作意手順を組み立て始めたのです。
結局、右図に至るまでには、家で盤に並べて、細部の仕上げと、別詰があるかの検討を行ったのですが、前記の不謹慎な行為で大筋が出来上がったことはたしかでありました。
本局、プロ棋士で当時四段、堀口弘治氏より、「初形曲詰(三×七の市松模様)から、複雑な変化と紛れ、そして本手順の見事な力強い捌きと仕上り、秀作と言えます」と誉められました。
第8番 将棋マガジン S58・1
32銀、22玉、31銀打、12玉、34角、同銀、22銀成、同玉、31銀生、同玉、42龍迄11手詰。
本局を、ある方が評して“気難しい詰将棋”と言われた。大変面白い表現と思った。小生みたいな“お人好し”が作ったものでも、たまには気難しいものもできるものかと、おかしくなりました。銀二枚を重く打っていくところがやりがたいところなのでしょう。
角捨てからは一転して、二枚の銀を捌いてしまう。こういった、打った駒をその直後に捌いて消してしまうという手順の流れが小生は好きなのです。
本局、自作中でも気に入っている作であります。
第9番 将棋世界 S59・1
22歩、同金、41飛、31角合、同飛成、同玉、23桂、同金、32歩、同玉、21角、同玉、33桂生、同金、22金迄15手詰。
指将棋に最も熱中していた頃の作。
そのせいか、解説者の野口氏に、作風が変わったと評された。難解さがあふれているというわけであります。指将棋ばかりやていたせいではないでしょうが……。
角の合駒のアヤはちょっとした読みが必要か――。飛を切ったアト、角から桂捨てで玉を捕獲してしまうところが見せ場です。
玉方54飛の不動駒が気にかかりますが、軽い小駒で処理するわけにはいかないようです。
■※管理人注※5手目13桂以下余詰。
第10番 “とうかい将棋ファンの集い”第一回全国詰将棋コンクール S60・5
14飛、13角合、同飛成、同玉、24角、14玉、42角成、25玉、15馬、同銀、14角、同香、24龍、同銀、26金迄15手詰。
さて、しんがりは将棋誌以外に発表した作を――。
四日市市の“将棋ファンの集い”実行委員会より、第一回全国詰将棋コンクール要に出品要請方便りがありましたので急遽生まれた作です。
各誌に投稿するとなれば、形をもう少しなんとかしたと思う。どうだろうこのゴツイ形は!
しかし、今考えると、手順本位で、余詰の発生を防ぎながら、短い時間で仕上げたのでした。
理屈はどうあれ、終わりに近くなるにつれ、大駒をバサバサ捨て、詰め上げるところは小生の作風の一面が良く出ていると思われますが如何でしょう。
■※管理人注※初手32飛以下余詰。
以上、駆け足で想い出の10局を振り返ってみましたが、“出来は良くないが可愛い子供たち”の感が強くいたします。
“私の代表作”は案外これから生まれるのかもの意も強くいたします。が、それ以前に他人の好作に触れ(解き)、詰将棋を愛する心を末永く持ちたいものだと、つくづく思った次第であります。
|